「ちゃんとしなきゃ」
「しっかりやらなきゃ」
「失敗しないように、ちゃんと準備しないと…」
そんな言葉が、いつも心のどこかで聞こえてきませんか?
私もずっと、そういう“ちゃんとスイッチ”を無意識に入れて生きていました。
そのおかげで助かったことも多い。だけどその分、心がずっと力んだままだった気がします。
- 他人からどう思われるか気になってしまう
- 自分の感情を押し殺して「いい人」でいようとしてしまう
- できない自分を許せない
それってまるで、“ちゃんとしなきゃ”という呪いにかかっているような感覚でした。
この記事では、
- なぜ私たちはそんなに「ちゃんと」したがるのか
- その裏にある不安や思い込み
- そして、その呪いをやさしくほどいていく方法
について、自分の体験をまじえてお話ししていきます。
1:いつも「ちゃんとしなきゃ」と思っていた頃の私
正直に言うと、昔の私は**“ちゃんとしていること”が当たり前**だと思っていました。
- メールはすぐ返信しないとダメ
- 約束には絶対遅れてはいけない
- ミスしたら迷惑をかけるから、二重・三重に確認する
- 聞かれてもないのに「すみません」って言ってしまう
それって、社会人として大切なことだと思っていたし、
誰にも迷惑かけない“ちゃんとした自分”でいようと必死でした。
💬 「頑張りすぎてない?」と言われて気づいた
ある日、親しい友人に言われたんです。
「なんか、いつも緊張してる感じする。頑張りすぎてない?」って。
自分ではまったく気づいていなかったけれど、
人前でも、職場でも、プライベートでも、
どこか**“ちゃんとしなきゃ”って気持ちに縛られていた**んだと思います。
😢 失敗が怖くて、気を張り詰めていた
「これでいいのかな…」
「もっと丁寧にしなきゃ」
「何か抜けてないかな…」
そんなふうに、何かあるたびに自分を疑って確認し続けていた毎日。
人からの指摘が怖くて、何か言われると「やっぱり私はまだまだだ」って思ってしまう。
その背景にあったのは、完璧でいないと認めてもらえないという思い込みだったのかもしれません。
2:「ちゃんとしなきゃ」の裏にあった気持ち
「ちゃんとしなきゃ」と思い続けていた私ですが、
それがただの“癖”ではないことに、ある時ふと気づきました。
ちゃんとしようとする裏には、
強い不安や思い込みがあったんです。
💭 怒られたくない、否定されたくない
私はミスを極端に怖がるタイプでした。
誰かの表情がちょっと曇っただけで
「私、何かしたかな?」って気になってしまう。
子どものころ、先生や親に叱られた経験が強く残っていたのかもしれません。
だからこそ「ミスしない=価値のある自分」って、
無意識に思い込んでいたような気がします。
🫧 見捨てられたくなかった
完璧でない自分を見せたら、
「がっかりされるんじゃないか」と思っていました。
人とのつながりが切れてしまうのが怖かった。
「役に立つ私」でいなければ、そばにいてもらえないんじゃないかと、
心のどこかで感じていたんです。
🤝 認められたかった
ほんの些細なことで「ありがとう」って言われるだけでも、
すごくうれしかった。
自分が「役に立てた」って実感がほしかった。
だから、「ちゃんとしてる私」でいようと
無理をしてでも頑張ってしまっていたんですね。
でも本当は、
もっとゆるくていいし、欠けていてもいい。
そのままの自分でも、ちゃんと愛される。
そんなことに気づけたら、
少しずつ肩の力が抜けていくようになりました。
3:ちゃんとしてる“つもり”で、自分を苦しめていた
「ちゃんとする」って、一般的には良いことだと思います。
でも私の場合、それが**行き過ぎた“思い込み”**になっていたんです。
😅 無理をして笑うのが当たり前だった
疲れてても、つらくても、
「元気そうに」してるのが大人だと思ってた。
誰かが落ち込んでたら、自分のしんどさは後回し。
無意識に「私は大丈夫」って言い聞かせるクセがついてました。
でも本当は、そんなに強くなんてない。
笑っている裏で、心がすり減っていたことに気づくのは、ずっとあとでした。
🤐 本音を我慢するクセ
「本当はイヤだけど…」
「迷惑かけたくないし…」
「言ったら気まずくなるし…」
そうやって自分の気持ちを飲み込むことが多かったです。
“ちゃんとした人”は空気を読んで、波風立てないように振る舞うもの。
そんなふうに思ってました。
でもそれって、
自分の感情を置き去りにしてることに他ならないんですよね。
🌀 他人の期待に応えすぎて、息苦しくなった
人に頼られるのはうれしい。
でも、いつの間にか頼られないと不安になってた自分がいました。
「○○さんにお願いすれば安心」
そんなふうに言われると、
「ちゃんとしなきゃ」のスイッチが入る。
頼られる=必要とされてる
必要とされてる=存在価値がある
そう思い込んでたから、断れなくなっていたんです。
いろんな場面で
「ちゃんとした自分」を演じ続けてきたけど、
その分、本当の自分はずっと置き去りでした。
4:「ちゃんとしなきゃ」の呪いをそっとほどく3つの考え方
「ちゃんとしなきゃ」と思っている時って、
誰よりも自分自身を責めている状態だったんだと、今なら思います。
その呪いを少しずつほどいていくには、
一気に変えようとしなくてもいい。
まずは考え方の角度を少し変えてみることから始めました。
✅ 1. 「ちゃんとしないと嫌われる」は、ただの思い込みかも?
「こんな自分じゃ嫌われるかも」
「迷惑をかけたら、離れていかれるかも」
そう思って、何度も自分を抑えてきました。
でもよく考えたら──
それ、実際に誰かに言われたことあった?
たいていは、ただの“妄想”。
過去の経験や、勝手な想像が自分を縛ってただけでした。
✅ 2. 「案外大丈夫だった」を積み重ねていく
「ごめん、今日は無理そう」って断ってみたら
「そっか、また今度にしよう」と普通に返された。
「わからないので教えてください」と素直に聞いてみたら
「いいよ!一緒にやろう」と快く返してくれた。
その“拍子抜け”するような経験が、私の思い込みを少しずつ壊してくれました。
完璧じゃなくても、案外うまくいく。
むしろそのほうが、人との関係も自然であたたかいことが多いんです。
✅ 3. 「しなくちゃ」より「できたらいいな」で声をかけてみる
「やらなきゃ」って言葉は、
知らないうちにプレッシャーになります。
だから私は、少しずつ言葉を変えるようにしました。
- ✕「ちゃんと返信しなきゃ」
- ◎「今は無理だから、落ち着いたら返信できたらいいな」
- ✕「早く寝なきゃ」
- ◎「ゆっくりお風呂に入って、眠くなったら寝よう」
声のトーンを変えるだけで、心の余白ができるんです。
それが、気持ちを整える第一歩になりました。
「ちゃんとしなきゃ」の正体を知って、
少しずつ力を抜いていくことで、
自分にも優しくなれるようになっていきました。
5:「ちゃんと」を少しゆるめたら、心が自由になった
「ちゃんとしなきゃ」と頑張ることが悪いわけではないけれど、
そのせいで心がギュッと縮こまっていたことにも、ようやく気づけました。
そして少しずつ“ちゃんと”のハードルを下げていくと、
心に余裕が生まれて、見える世界が変わってきました。
🌱 気がつけば、深呼吸できるようになっていた
以前の私は、いつも何かに追われてるような気持ちでした。
でも、「完璧じゃなくていいよ」「できる範囲でいいよ」と
自分に声をかけるようになってから、
自然と深呼吸ができるようになっていたんです。
ちゃんとできていなくても「それで大丈夫」って思えるだけで、
一日がラクになりました。
🌼 人と比べる時間が減っていった
「○○さんはもっとできてるのに…」
「私はまだまだだ…」
そんなふうに思うことが多かったけれど、
「ちゃんとしなきゃ」をやめてからは、
人と比べるよりも**“昨日の自分”と向き合う時間**が増えました。
「昨日よりちょっとだけうまくやれたかも」
「今日は自分の気持ちを大事にできた」
そんな小さな満足感のほうが、ずっと心に残るようになったんです。
🌈 自分の気持ちに正直に過ごせるって、こんなにラクなんだ
「今日は頑張れない」と言えるようになったこと。
「こうしてみたい」と言えるようになったこと。
それは勇気がいるけど、
その分だけ、自分との信頼関係が少しずつ育っていく感覚があります。
人に好かれるための“ちゃんと”より、
自分を大切にする“ちょっとゆるめ”の方が、
結果的に心がうまく回っていく気がしています。
まとめ:「ちゃんとしなきゃ」の裏にある気持ちと、少しの優しさ
私はずっと、「ちゃんとしてる自分」でいようとしてきました。
周りに迷惑をかけたくないし、ちゃんとしてれば嫌われないと思ってた。
でもその裏には、
「ダメな自分を見せたら価値がなくなるんじゃないか」
という不安が、ずっと根を張っていました。
だけど、少しずつでいいんです。
「今日は疲れてるから、休んでもいい」
「ちゃんとできなくても、私の価値は変わらない」
「それでも、大丈夫」
そんなふうに、自分にかける言葉のトーンを変えるだけでも、
心はちょっとずつ、ゆるんでいきます。
完璧じゃなくても、ちゃんとしてなくても、
あなたにはあなたの価値が、ちゃんとあります。
💌 読者へのメッセージ
もし今、
「ちゃんとしなきゃ」「迷惑かけたくない」と思って、
心がちょっとだけ苦しくなっているなら──
この言葉を、そっと届けさせてください。
だいじょうぶ。
あなたはもう、十分ちゃんとしてるよ。
自分をぎゅっと締めつけている“ちゃんと”を、
ほんの少し、ゆるめてあげてくださいね。
その先に、
もっと自由で、あたたかい日々が待っていると思います。
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